LivingAnywhere Commonsでテレワークをしながら、色んな場所を旅してみる。〜八ヶ岳編(1)〜

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LivingAnywhere Commons八ヶ岳は、山梨県北部、長野県との県境に近い北杜市に位置するLivingAnywhere Commons七番目の拠点で、2020年9月、オープンしました。

中央アルプス・南アルプスという日本有数の山岳地帯に囲まれたこの市は、北部の八ヶ岳はもちろん南西方面をみれば甲斐駒ヶ岳や仙丈ヶ岳、鳳凰三山といった名だたる名峰が屏風のようにそびえる、登山愛好家垂涎のロケーションです。そこから東に目を転じれば、遠くに富士山の雄大な姿を望むことができます。

もと企業の保養所だったという建物をLACが借り受けて新しい拠点としてオープンさせるにあたり、この拠点は他の拠点にはない独特の、ユニークな機能を付与されることになります。それが「オフグリッドキャンプの実装」という言葉で語られている「インフラの制限からの解放」を目指すというものです。

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私たちの生活は、水道や電気、ガスといったインフラが整備された環境に、必然的に紐付けられています。それは「住まうこと」が、定住を当為としていることによるものです。

ある場所に家を購入し、あるいは賃借して住まう。まず定住先があって、そこから通勤できる範囲内に就業場所を見つけ、あるいは就業先に便利な所に定住先を見つけ、就学児は学校に通う。人が集まって住むところを結ぶ鉄道や道路網が整備され、住民を対象とした行政サービスが整い、というふうに、すべてのインフラストラクチャーは「定住」を前提に設計されてきました。

けれど、新型コロナウイルスの感染拡大は、この「定住」こそが実は最大のリスクなのではないだろうか?という問いを私たちに突きつけることになります。そしてその問いに対してラディカルな形で解を与えようとしているのが、このLivingAnywhere Commons八ヶ岳である、ということが言えるのかも知れません。

「オフグリッド」とは、インフラに紐付けられた個人の生活を解放し、人々がもっと自由に、その日着る服を選ぶように住む場所を変える、旅するように移動しながら生活するということなんだそうです。

LAC八ヶ岳

具体的には、すべてのインフラを「持ち運び可能に」つまり「移動を前提として」構築し直すことはできないか?そして具体的にそれを実行に移すために、どのようなツールが有効なのか?それらを実験するためのラボ(Lab)が、この拠点が目指す機能ということになります。

https://livinganywherecommons.com/base/yatsugatake/

具体的な説明は、上のURLからのリンク先に譲ることとして、秋の気配が漂う会津磐梯をあとにした僕の次の目的地が、このLAC八ヶ岳でした。

運良くこの拠点がオープンするその日から、ここでの生活を始めることができることになりました。9月下旬の土曜日、その日は朝からしんしんと降り続く雨が夜になってもやまないというコンディションでしたが、この拠点のオープニングイベントのために全国各地からやってきた関係者のみなさんの表情はとても活き活きとしていて、この拠点で始まる壮大な実験への期待を映しているかのように、僕には思われました。

LAC八ヶ岳の敷地内には広大な空き地があって、もともとはその場所にはスポーツ施設が建てられていたとのことですが、今は所々に草が生える更地になっています。

この拠点のコミュニティマネージャーである「渡鳥ジョニー」こと池田秀紀さんは、もともとはご自身の愛車のベンツのバンで全国を転々としながら生活をされていた方です。

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ジョニーさんのように、車の荷台などを改造してベッドやちょっとしたキッチンなどを設えて、長期の移動生活に耐えうるようにした乗用車で生活することを「バンライフ」、そのような生活のスタイルで全国各地を移動する人々のことを「バンライファー」と呼ぶそうです。

このLAC八ヶ岳拠点は、そんなバンライファーのために、敷地内の広大な空き地を開放しています。ここをオフグリッドな生活を可能にする仕組みづくりのための壮大な実験場と位置づけ、実際にバンライフというオフグリッドな生活を実践している人たちが集まって、意見を交換し会える場にしようという趣旨です。

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実はこのオープニングイベントに参加させていただくにあたり、一つ条件がありました。僕がこのイベントへの参加を申し込んだ時点で、会場のキャパがすでにオーバーしており、宿泊できる場所がないというのです。

「建物内の施設は自由に使ってもらって構わない。お風呂も台所もホールも無料で使用してもらって大丈夫。ただし寝る場所については、このオートキャンプ場としてほしい。」
車を持たない僕にとっては無理筋のお願いと言えたのかも知れませんが、僕はこの条件を喜んでのみました。

というのも、僕が日本を出て世界一周に出る前までの趣味といえば、毎週テントを担いでどこかの山に登り、そこで星空を眺めながらのんびりと過ごす、というものだったからです。

4年ぶりのテント生活

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そんなわけで、実家にほど近い大阪市内のビルの一角に借りたトランクルームから、僕は登山用のテントやバーナーと言った即席の調理器具を引っ張り出してLAC八ヶ岳に向かいました。山用のキャンプ用具を使って生活するのは3年ぶりです。悪天候も、ある意味では全然気にはなりませんでした。山の中ではもっとひどい暴風雨になりますから。

LAC八ヶ岳のオートキャンプ場の直ぐ側には小川が流れています。そのせせらぎの音を聞きながらゆっくりと星を眺められそうな場所に、僕はテントを設営しました。結局初日は急なキャンセルが出たこともあり、本館の和室に宿泊させてもらうことになりましたが、「キャンプができること」を最大の楽しみの一つにこの拠点を訪れたので、その楽しみがなくなるのがちょっと寂しかったのも事実です。

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けれどLAC関係者の方たちはそれを遠慮というか、謙遜ととらえてくれていたようで、結局はとても快適な畳の部屋に滞在させていただくことになりました。結果的に滞在した3週間の間、数えるほどしかそのテントで生活することはありませんでしたが、テントのフライ一枚を隔てて大自然の中で生活ができたこと、星空の下で温かいウイスキーを飲みながらこれまでの生活のことを考えて思いにふけった時間というのは、LAC会津磐梯で経験したものとはまた違った贅沢な時間として、僕の記憶に残り続けることになりそうです。

そんな星空の下に集ったユニークな人たちと、店頭に並んだ瞬間にすぐ売り切れるという地元のクラフトビール「宇宙ビール」を飲みながら、焚き火を囲んで過ごした時間は、僕に「当たり前」ということはどういうことなんだろうかという問いを投げかけることになりました。

ジョニーさんたちが「定住」というあたりまえに問いを投げかけていたように。

星空の下の自由人たち

オープニングイベントが終わった次の日、大半の方が日常の生活へと戻っていったLAC八ヶ岳に残っていた方々のことを、僕は勝手に「星空の下の自由人」と呼んでいます。

僕はそのままこの場所に残って、これまでそうしてきたようにテレワークをするのですが、この場所に集まってきた方の中には、新型コロナウイルス感染症が発生する前からずっと、ジョニーさんのように、常に拠点を変えながら生活するスタイルの方がいらっしゃいました。つまり、週が明けるからと言って特にどうということもない人たち、ということです。

そんな方々と、静かになったLAC八ヶ岳のオートキャンプ場で、焚き火を囲みながら色んな話をしました。

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旅に出た4年前、僕にとって日本はずいぶん息苦しい国でした。そして旅から戻ってきた今、その息苦しさは前にもまして苛烈になっているように、僕には思われました。有形無形の細かなルールが有り、従うべき「空気」が存在し、そこからほんの少しでも逸脱していれば、有形無形のサンクションが待ちうけています。

コンビニに行けばだいたいお客さんが店員さんに対して何らかの不平不満を述べていたり、鉄道の駅では、電車の数分の遅延に対して怒鳴り散らしている乗客がいます。

町の中でもテレビの中でも、いつも誰かが誰かに対して謝罪している。あるいは謝罪を求めている。「正常」や「正解」からの小さな逸脱をも許さない、そんな雰囲気が蔓延している。これが4年ぶりに帰ってきた日本に抱いた、僕の偽らざる印象です。

それはいつも僕の心を暗くしていました。けれど、ここに集う人々はそんな社会にあって、その息苦しさを感じながらもそのことを恨んでいるでもなく、淡々とご自身の役割をこなしている。しかもその役割、つまり仕事から、得られる金銭以上の喜びを日々得ているようでした。

ある人はダンボールが好きで、その好きが昂じて「ダンボールデザイナー」として、全国各地を飛び回っていると言います。この拠点の一つのウリでもある「移動式サウナ」のサービスを提供しているのはサウナづくりの名人で、サウナの炊き方や楽しみ方を色んな人に伝えているといいます。

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そんな彼の本業はミュージシャンです。メディアへの露出も多いコミュニティマネージャーのジョニーさんに至っては、もはや存在自体が「渡鳥ジョニー」という職業であると言っても決して過言ではない、とすら思います。

事実ご本人に「ジョニーさんの職業ってなんなんですか?」って聞いたところ「うーん、前はウェブデザインとかやってましたけど、最近はやってないしなぁ」と笑いながら答えてくれました。

そういう生き方をする人を、「正常からの逸脱である」としてあまり好まない人が多いのがこの国なのかも知れません。定職についていない、収入が不安定である。そういう言葉で、星空の下の自由人をカテゴライズしようとします。

彼ら自身も、そんな世間からの冷たい視線を感じていないわけではないようです。でも、それも込みで、今の自分と、その自由な生活を愛している。世間を悪く言うわけでも、ネガティブに捉えるわけでもなく、ただ粛々と受け入れて、日々の生活を精神的に少しでも豊かなものにしようと一生懸命生きている。

この人たちから僕は学ぶことが無限にある、そんなふうに思いました。世界中で出会った日本人も、ある意味では彼らのような考え方の持ち主だったけれど、今自分が属している社会そのものにきちんと感謝しつつ、受け入れるべき価値や他者からの評価はきちんと受け入れながら生活しているという点で、日本の外で出会う日本人とはどこか少し違っていた。

そんな彼らの存在と、その言葉の一つ一つが、僕の心に強く残っていったのでした。

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